専業主婦の「ためにならない」雑記ブログ

年少の息子アキとの毎日を書いています。時々は、旦那のことも。

眠れぬ夜のホラー

3歳の息子アキと旦那と3人で、実家に来ております。ただ今、夜中の1時。

(更新は、夜中は避けて朝にしています。)

 

眠れない…

隣で、旦那も子供もグーグー寝てるのに。

ばあばも部屋で寝てしまってるだろうに、

私だけ、眠れない…

類稀なる、この妄想力のせいで眠れない…

 

立て付けの悪い扉が、ガダガタッ

天井が、ピシッ、ピシッ、

電球がミシッって…

 

ホラーでしょぉぉ〜〜(;ω;)

 

妄想力がフル回転して眠れない…

いや、マジで怖いんですけど、実家。

自分の実家なのに、怖いって、

そんなことある?

帰りたいー

 

今、リビングの電気付けた。

明かりがあれば、

文字にする勇気もない「アレ」も朝と勘違いしてくれるだろう。

…あれ?そもそも、明るい時にはアレ出ないんだっけ?

いや、明るいところには出ないはず、出ない、出ない、出ないよ、ね?

 

ひぇっ。

今、頭の上の方で、ギシッって…

もう、イヤぁぁ〜〜〜

 

旦那は一度寝たら絶対起きない。

このやろー

何かあったら、こりゃ、

子供だけ連れて、旦那は置いて逃げるしかない。

 

携帯に集中しよう。

こうなったら、寝落ちを狙おう。

もう、ギシッも、ピシッも、ガダガタッも、気のせいだと思い込もう。

気のせい、気のせい。

気のせ……

 

 

マジでやめてぇぇ。

 

床まで、ドンと鳴り出す中、

それでも、

明日の朝、

電気をつけたまま寝た「言い訳」を考えてしまう、優等生のワタシ。

怖いのに、自分のマジメが憎い〜〜

★過去に遡る①〜父母を語る★

母は美しかった。


庄屋の娘である祖母と、武家の血筋を引く祖父の元に生まれ、一男一女の長女として、何不自由なく育てられた。
恵まれた環境で、甘やかされて育った母は、その美貌と、生まれつきの気性の激しさが相まって、見事に、高いプライドを備えた女性へと成長した。
高卒だった母は、大卒へのコンプレックスの裏返しか、頭のよい人間が大好きだった。特に、学歴のある人たちと積極的に交流し、彼らと同じ土俵で会話できる自分を誇りに思い、そうでない人間を見下していた。プライドの高さゆえか、常に現状に満足できず、日々、何に対しても誰に対しても、不満を募らせていた。
私は、そんな、母の負の感情を受け止める器として生まれた。

デキ婚と言う言葉が流行るずっと以前に、母は、5歳年下の父と出会い、私を身籠った。
当時、父はまだ大学4年生で、将来教職に就くべく勉学中の身だった。母が勤めていたデパートにアルバイトとして入社し、母の下に配属されたのがきっかけだった。父の強いアプローチで付き合い始めたが、当然、結婚の意思はなかった。

母は当時28歳。30歳手前の、女性特有の結婚願望は、もちろん持っていた。

が、相手は所詮学生。半ば諦めかけていたが、思いがけず、私を身籠ることで、母は、父を手に入れることに成功した。
無職の学生と、デパート勤めのOLは、OLの貯金を食い潰す未来で意見を合致させ、両家の反対を押し切って結婚した。

父は背が低く、お世辞にもハンサムと呼べる顔立ちではなかった。
しかしながら、そのハンデを補って余るほどに、頭の回転が早く、サービス精神旺盛で、会話は機知に富み、女性によくモテる人だった。
この頃からすでに父の周りには、不特定多数の女性の存在があった。そのことは母もよく知っていたはずだが、あえて見えないフリをしていたように思う。

 

学生だった父と、身重の母は、古いアパートで新しい生活を始めた。父は、授業の合間にアルバイトをしていたが、一家の大黒柱としての自覚はなかった。アルバイトだけでは、生計は成り立たず、生活費のほとんどを身重の母の貯金で賄った。
買いたいものも満足に買えない、生活苦の中で、私の出産予定日を一週間後に控えながら、お気楽な父は、大学の仲間と卒業旅行に出かけた。自分のアルバイト料と実母からのお小遣いの全てを、卒業旅行の資金に充てたという。

 

 

それでも、母は何も言わなかった。

母は父に固執していた。



大学を卒業して、1年間、就職浪人し、父がやっと教職に就いたころ、母の貯金は底をついた。裕福な出の母は、親からの支度金と、デパートの退職金とを、無職の、ヒモ同然の父と生まれたての私のために、使い果たしてしまった。

 

 

父は、頭が良くユーモアに溢れる人だったが、同時に、暴力的な人でもあった。

父が仕事に慣れ、教師としての自覚が強なるにつれ、父の家での暴力性は増していった。

私が2歳の頃、妹が生まれ、その翌年には弟が生まれた。私たちは、父の顔色を伺いながら過ごすのが常だった。幼稚園に上がる頃には、機嫌を損なうと、暴言はもちろん、暴力を振るわれることもあった。

小学校に上がると、特に、勉強の苦手だった弟や妹への風当たりは強く、私は止めに入るのも必死だった。止めに入ると、次は私が殴られる。恐ろしさを堪えて、無我夢中で抵抗した。

父は教師として、私たち3人に躾をしているのだ。

 

そういえば、小学生の頃、
家族で外出先から帰ってきたとき、父にお風呂を洗えと言われたことがある。
私は疲れていて、つい嫌そうな顔をしてしまった。途端、父は、ふざけるなと激怒して、お風呂のタイルに私を叩きつけた。父はとても短気な人だった。

 

母は、私たちがどんなに叩かれたり蹴られたりしていても、決して助けてはくれなかった。
父に逆らって嫌われるのが怖かったのだ。

 

せめてもの救いは、父が、母には手を出さなかったことだ。だが、母に対しては身体への暴力の代わりに、言葉の暴力を行なっていた。

俗にいう、モラハラの先駆けだった。
母が自分の失敗を認めず、言い訳がましいことを言うとき、父はより一層キレて言葉の暴力を振るった。
母の出かける準備が遅いときも、子供が愚図ったときも、勘違いも何もかも、少しでも気に障ることがあれば、父は母を罵った。父から母へ向けられる言葉のほとんどが、嘲りや罵倒の類いのものだった。
ところが、母はどんなに貶されても、父に逆らうことをしなかった。
それどころか、毎日、帰宅するかどうかも分からない父のために、晩ご飯を食べずに、いつまでも待ち続けた。真夜中に電話が鳴り、酔っ払った父から、他人の家に泊まって帰ると言われても、文句ひとつ言わなかった。


その言えない文句の全てが、私に吐き出されていたことを、父は、知らない。


父が家にいるとき、母はよく、「いつか離婚するつもりよ」と、笑って、冗談めかしながら父に語っていた。これは今思えば、離婚を仄めかせることで父を焦らせ、家庭を顧みてもらおうと願う、母なりの苦肉の策であったのだろう。

その作戦は、後に、赤面するほどの大失策に終わる。所詮は、母の言う学歴の差か、父の手のひらの上で弄ばれていただけだった。

旦那とケンカしたときに怒りが消える瞬間

3歳の息子アキが寝た後、

旦那と些細なことで小競り合いになった。

アキは未だに夜中に何度か起きるので、小競り合いの最中でも、アキが起きた気配がしたら、もちろんケンカは一時中断。

 

たまたま、旦那が先にアキの様子を見に行って、私が後からかけつけたとき、

 

旦那は、

お前じゃねーよ的なアキの足蹴りを何度も受けていた。

 

私はすかさず旦那の横を素通りし、

アキに駆け寄って、

 

「(そうよねぇ〜、パパじゃなくて、ママよねぇ〜〜、パパじゃないよねぇ)アキ、ママよ、大丈夫よ。」

 

と、心の中でニタニタしながら、

アキを寝かし始める。

私がそばに行った瞬間、落ち着くアキ。

 

 

ぷぷ。

ワタシ、もう怒ってないよー。

専業主婦という選択

35歳まで、
息子を産む、その日まで働いていた私にとって、
働かないという選択は思ってもみないものだった。

今まで、旦那と何度も話し合って、
私は息子のそばにいることに決めた。
本当は、家計は火の車だし、
働いて、色々買いたいし、
旅行も行きたいし、
お金があれば、アキにもっとしてあげられることがあるんじゃないかと思う時もある。

今働かなかったら、アキが大きくなった時、私の年齢では雇ってもらえないかもしれないという不安もある。

 

 

アキは生まれた時から、
どちらかというと育てにくい子だった。
寝ない、大声で泣き続ける、おっぱいから離れない。
友達の家の赤ちゃんが、すやすや1時間以上寝てるのを見て、赤ちゃんて寝るんだ!とマジで思った。
アキはそれほどまでに、寝ない子だった。

別の赤ちゃんが、おとなしく抱っこ紐に抱かれているのを見て、びっくりした。アキは抱っこ紐もダメ、チャイルドシートもダメ、ベビーカーもダメ、何をしても大声で泣きまくっていた。

おっぱいから離すと泣き続ける。


今は3歳になって、コミュニケーションが取れてきて、
今なら、赤ちゃんの時になぜあんなに泣いてたか分かる気がする。
アキは、極度の怖がりだったのだ。
たぶん、全てが怖かったのだと思う。
一日中、おっぱいを口にくわえていないと、泣いていたのだから。

 

3歳の今、
お菓子を取られそうになるシーンが怖くて目を閉じる。
お母さんが、軽くこつんと子供の頭を叩くシーンで早送りする。
トイストーリー2は、ザークが出てきた瞬間、映画を消した。
え?ザークっておもちゃだよ?

何が怖いか分からない時でも、怖がっている。

幼稚園も、アキにとっては、
「頑張って」行っている場所。
入園して4ヶ月経った今でも、ママがいないから、寂しいと言う。
幼稚園に行っている間も仕事したらダメと言う。

だから、
我が家では、私はアキのそばにいようと決めた。
白髪ができるほど節約をしている。
でも、アキがそばにいることで、まっすぐに安心して育ってくれるならいいと。

それぞれの家で、それぞれの結論があっていいと思う。
働くことを決めた人、働かないことを決めた人、それぞれの考え方が否定されないと、ありがたい。
専業主婦でも、ビンボーを選んだ人もいるということ。

 

そりゃぁ、
いつかは、ピンチになって、バイトするかもしれないけどね。
今は、アキと過ごす時間を少しでも多く取りたいと思う。


ちなみに、寝ない子だったアキ、
3歳過ぎた頃から、少しづつ、寝るのが上手になってきて、
今では、夜は眠れるようになったよ。

他の子より寝るのはまだ下手くそだけどね。

私の睡眠不足も少しづつ解消してきたよ。

寝ない子を育てている、不安な人にとって、いつか、暗闇から出られるかもしれないと、小さな吉報になったらいいな。

 

 

旦那が可愛さを演じる悲劇

旦那は38歳。

いい歳である、

おっさんと呼ばれる年代でもある。

 

 

そんな旦那には、本人も気付いていない最悪なクセがある。

それは、私の放った言葉の意味が、旦那の頭では理解できないときに起こる。

分からない、理解できない、

と思った途端、

な、ぜ、か、

首を30度、横に傾ける。

 

Why⁉︎

 

若い女性が、計画的に可愛さを演出するときによく使う、あの首の動きだ。

若い女性ならまだ許せるものの、

38歳のおっさんが。

首を。

30度に傾けて、

 

「ん?」

 

と、上目遣いでこっちを見てくる。

 

 

このやろーっっっ。

 

1ミクロンも可愛くないんだよっっ。

 

38歳のいい大人が、

 

「ん?」じゃねーよ。

 

 

火に油を注ぐ、とは、まさにこのこと。

 

この、「ん?」顔を見た瞬間、

私の怒りは、気持ち悪さは、マックスに達する。

ここからの惨事は、想像を絶するので、割愛させていただきたい。

今日も、歌う

夏休み。

年少の息子は、今日も歌う。

毎日、全力で、自作の曲を歌ってくれる。

必死でメモしたので、

息子の天才的な歌詞をご覧あれ。

 

 


こころにさーれるのよぉ
そらなぁらぁ、これなあらあ
君にちゅやされー
ここはーされるー
おらかからぁにするべー
こころのー
こられるー
きみもーだー
こられるー
のがらみーそれたらーこれー
のあーだぁーそーらるぅ
だーぁからー
なおれぇられりー
かぁらーれーきれるー

 

てっててれーれーれ
てっててれーれーれー
てっててってれーれれれー
れれれー
てれれーてれれー
てれれーてーれれれれー
※以下、

ずっと「てれれ」が続くため省略

 

 

これ、

曲は、ほとんど、ミとソの音だけで延々と続く。

歌い終わったら、間髪入れずに褒めると、

必ず、ドヤ顔でこちらを見てくる。

 

そのドヤ顔に突っ込みたくなるのを、

必死でこらえる、38歳の夏。

3歳、まだまだ授乳は続く

家族と、数少ない友人以外には、
極秘にしていることがある。

実は、我が家の3歳の息子アキは、
いまだに、寝る前と大泣きした時(家にいるときに限る)、には授乳が必要だ。
そう、
つまり、3歳の息子は、
…まだおっぱいを飲んでいる。

ここで暴露した時点で、
すでに極秘事項ではなくなったが、いや大丈夫。
私を知る身近な人にバレなければ、まだ極秘である。

なぜ極秘か?

世の中はまだ、長期授乳に寛容ではないからだ。
人種や宗教の違いではなく、
母乳で育てるか、ミルクで育てるか、
断乳するか、自然卒乳するか、
ただ、それだけの違いさえ、
お互いを認め合える時代は、まだ来ていないと私は思う。
妹は母乳じゃないだけで、心ないことを言われた。
母乳育児を頑張っているときに、ミルクにしたら?と言われると、心が折れそうになることを知っているだろうか。
断乳しないだけで、子供を甘やかしているかのように皮肉を言われることもある。
親を追い詰めても、子供にとってなんの意味も価値もないのに、無責任な言葉で親を、子供を追い詰める。
そういう社会があることを知っているから、私は言わなくていいことは言わない。
子供を愛して、育てているという事実はなかなか伝わらない。


話が逸れてしまった。

ところで、
…3年間飲まれ続けたおっぱいを見たことがあるか。

私は、ある。

もちろん、毎日見ている。

これが、
非常にまずい状態になっている。
本当に、まずいことになっているのだ。

あまりにも不安になってきた私は、
このことを知る数少ない友人に尋ねた。
彼女も母乳育児をした一人である。

「あのさー、授乳したらさ、おっぱいの形変わらない?」

私が聞くと、感のいい友人はすぐに答えた。


友人「あー、伸びたよね、先がさ。」
私「やっぱり⁉︎伸びたよね!(同類がいて嬉しい)それって、元に戻った?」
友人「戻ったよー。時間がかかるけど、元に戻るから、大丈夫だよー。」
私「ほんとう?よかったぁ。」

 

私は安堵の溜息をもらした。

 

…あれ?

次の瞬間、

ふと、不穏な影が脳裏をよぎる。

…あれ?この人、1年で断乳しなかったっけ…⁉︎

私「あの、アナタ、1年で断乳したとか言ってませんデシタッケ?」

友人「したよー。」

私「3年間飲まれても、治るの?おっぱい。」

友人「あ。」

 

 

 

 

「あ。」じゃねーよ。

 

 

…そして、私は、

いまだに途方に暮れている。