専業主婦の「ためにならない」雑記ブログ

年少の息子アキとの毎日を書いています。時々は、旦那のことも。

【結婚できる女】

結婚できる女は果たして、「勝ち組」だろうか?
 
結婚できる女と、できない女の間には見えない溝がある。

未婚の女は20代後半、親や、結婚している友人から、あるはずのない結婚の予定をイヤというほど尋ねられる。
30代に突入すると、突然パタリと何も聞かれなくなる代わりに、結婚できない理由をあれやこれやと詮索され、影で噂される。
女が強いのは、そんな過酷な世間を生き抜いているからに他ならない。
 
ある時から、「あえて」結婚しない女が出回り始めた。

結婚に囚われず、子育てにも振り回されず、自らの稼ぎで己を満たし、自由に生きる洒落た女たち。
しかし、多くの男性はまだそれを「女の強がり」と捉え、30代で結婚していない女を「売れ残り」と考える。
男だけではない。恐らく、まだ、女の中にもその思考は密かに根付いている。結婚式で新婦があんなに誇らしげな顔をしているのは、
「私は結婚できる女。勝ち組みよ。」
と、周りの友人に見せつけているからに他ならない。もう、あんたたちと違って、煩わしい人間関係で悩みながら、あくせく働かなくていいのよーっ。
結婚できること=「幸せ」であり、女として「勝ち組」になったと、大々的に自慢しているのだ。
「結婚できない女」は、自らの意思で結婚しないことを強調しつつ、内心、結婚する女の発するサインを真に受け、唇の端を引きつらせる。

見えない溝は、こうして生まれるが、両者はあえて目隠しして穏便に交友関係を続ける。
 
 
だが、再び問う。
結婚できた女は本当に「勝ち組」か?

 
子育てに追われ、姑のイヤミをかわしつつ、頼りない旦那の尻をたたき、パートと家事に一日の大半を費やし、暇な時間は雑談かワイドショー。結婚していない女が自ら稼いだお金で、ジェルネイルやヨガに通っているのを羨望の眼差しで、あえてバレないように見つめつつ、自分は毎日毎月、お財布の中身と戦う日々。
そうした日々の中でようやく、「結婚できた女」は気づき始める。
「結婚」は、結婚が女の幸せと嘯き、女を家庭に収めるための男の策略だったのではないか。
結婚とは、もしかしたら、男の墓場ではなく、女の墓場なのか?!と。
 

自由になるお金の代わりに手に入れた、勝ち組という名のレッテル。手放すには悔しすぎる。キャリアを積むことから早期に離脱した人間に、再雇用のチャンスはそうそう巡ってこない。子供のため、生活のため、自分の老後のため、このレッテルを守り続けるしかない。
愛する人とただ一緒にいる、という本来の幸せを歪ませ、結婚という形にこだわりすぎた女の行く末である。

 
そう、結婚できた女は「勝ち組」でないと困るのだ。
勝ち組でなければ、報われない。
子育ても姑の世話も旦那のお守も、ただただ他人のために、そしてちょこっとだけ自分のために、報われないと感じながらひたすら頑張ってきたのだから。
「勝ち組」「幸せ」という言葉は、単なる男の策略にとどまらず、女が結婚に疑問を感じたときのための「慰め」でもあるのかもしれない。
 
 
 
本当に、結婚できる女は「勝ち組」か?
いや、結婚できた女は「勝ち組」でなければならないのだ。