専業主婦の「ためにならない」雑記ブログ

年少の息子アキとの毎日を書いています。時々は、旦那のことも。

サンタさんにプレーンズのおもちゃをお願いした息子へ、廃盤品と言えなくて、夏

夏休み、3ヶ月先取りの我が息子アキは、サンタさんにカーズのおもちゃをお願いするため、お手紙を書きました。

その時の記事がこちら。

 3ヶ月先取りで、誕生日とクリスマスの準備をする息子 - 専業主婦の「ためにならない」雑記ブログ

 

夏休みも終わりに近づく頃、ヒマを持て余した私とアキは、映画プレーンズ2を観ました。
それが、コトの始まりとは気付かずに、2人でのんきに、お菓子を食べながら、映画鑑賞と洒落込んでしまいました。

平たく言うと、プレーンズ2は、山火事を消火する消防士たちの話。消防車ラブで将来レスキュー隊になる予定の息子アキに、この映画は見事にハマり、1日に3回も観るほどの惚れ込みようでした。


…そんなある日、
アキがお絵かきをすると言いだした。

ぎくり。
母はピンと来た。
え?アキくん?
母はピンときたよ?

 

「ママ!ここにサンタさんへって書いて!」


はい、キター。
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つい数日前まで、

サンタさんにお願いしてたおもちゃは、確か、これだったよね?あきくん。

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撮影時、西日が差していたので大変分かりにくいが、ディズニー公式ストアのカーズの車、4台が描かれてある。どんなに目を凝らしても2台にしか見えないのだが、アキが言うので4台なのだ。

1台1,000円としても、4,000円。

まあ、許容範囲だろう。

 

プレーンズは?

アキの書いた絵を見てみる。何が書いてあるか、主人公の飛行機以外は、てんで分からない。

アキに聞くと、主人公のダスティと、修理担当のマルーをお願いしたらしい。

 


私はスマホを右手に持った。
アキがお絵かきの続きに気を取られている間に、高速で私の親指が動く。

 

と、スマホから衝撃の事実が宣告された。

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ん?

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んん?

 

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んんーーー⁉︎

 

 

 

いやいや、マジか。

もう、サンタさんへって書いちゃったよ。

 

 

いや、待て。楽天Amazonには在庫があるだろう。

私の親指が、さらにその速度を増す。

アキの頼んだ2体は、まだ在庫があった。一安心。お?他のも在庫があるぞ。

ここで発揮されるのが親心。

 

プレーンズのレスキューチームの主要メンバーは、主人公のダスティを含めて、11体。

こうなってくると、アキがこの11体で遊ぶ姿を見てみたい。

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在庫があるものは、そのほとんどが定価以下の値段になっていた。

よし。

 

ところが、このあと、

私の親指が、

ある人物?のところで、ピタと止まる。

絶対に外せない2体が、こんなことになっている。

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たっけー。

はんパねー。

 

元値が、コレ。

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この2体だけで、送料入れて7,000円弱。カーズの予算を軽く超えている。

もはや、この2体、諦めるしかない、

 

…のか。

 

 

…後日、

恐ろしいほどの執念で、私がその諦めの悪さを旦那に見せつけるのだが、

長くなったので、その話はまた次回。

 

大野城市の素晴らしさについて語り合いたいの、私

2年前に北九州から家族で引っ越してきた街、福岡県大野城市

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来て、驚くなかれ。

この街は、本当にびっくりするほど、車の運転が優しい街である。

一度、北九州、福岡市を通り抜けて、車で通過してみてほしい。

いきなり、本当にいきなり車の運転が変わる。

え?なんか境界線あったっけ?

って、ビビる。

 

青に変わり右折しようと、対向車線の車を待っていたら、先頭車両からピカリと合図。

え?譲ってくれるの?

 

渋滞の中、反対車線のマックに入ろうとウィンカーを出すと、1台目でライトがピカリ。

右折信号が出るまで待つ心持ちだったのに、え?1台目で?

 

とにかく、譲る、待つが当たり前のようで、北九州から引っ越してきた私と旦那はとにかく驚いた。

北◯州に住んでたころは、何台見送っても譲ってくれなかったよ?それどころか、危ない追い越しはされるし、法定速度で走ってたら煽られまくるし、車の運転中は、もう、戦いのよう。

自分が、自分がって感じでひた走る。

私も気持ちが荒んで、譲るなんて考えられなかった。

 

それが、

大野城市ときたら、

ナンテ素晴らしいの〜っ( ^∀^)

 

 

で、ここからが面白いところで。

こうやって優しくされるとね、あんなに北◯州で荒ぶってた私も、優しくしようと思うの。

自分が優しくされてるからね、

あ、私も譲ろうって気持ちになっちゃうの。

あ、どうぞどうぞ、お先にどうぞ。

 

これこそ、本当に「善循環」、

善いことが、善いことを運んでくる。

 

加えて、

大野城市は住んでる人も優しい。

態度の悪い店員さんに、イラっとすることがなくなった。

前は、店員の態度にイライラすることが多かったけど、こっちの店員さんの対応の優しいこと優しいこと。

もう、引っ越して来た日に市役所の対応の違いに驚いた。

北◯州の市役所で、散々嫌な目にあったあとだったから、なおさら。

何を尋ねても親切丁寧。

こうして、イライラすることがなくなると、逆に店員さんに気を遣いたくなる。

ここでも、「善循環」。

 

何も知らずに越して来たけど、子供を育てるには最適な街だった。

医療費の補助が、福岡市とか北九州に比べると少ないけどね。

それを補って余るほどの、心の豊かさがある。

 

もう、大野城市のキャラクター

大野ジョーくんさえ、可愛く見えてきてしまう。

あー、この素晴らしさ、わかってくれる人いないかなぁ。

ビバ、大野城

http://onojoe.com/

 

3ヶ月先取りで、誕生日とクリスマスの準備をする息子

3歳の息子アキが、サンタさんへ手紙を書き始めた。

それが、こちら。

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西日が差し込んで、分かりにくいので説明を付け足すと、どちらもディズニーカーズの車で、上がDINOCOのキャルを含む3台セット(え?3台?)、下がレッカー車のメーターらしい。

 

トミカではなく、ディズニー公式ストアのミニカーを希望している。f:id:meganenomusuko:20170824172708j:image

手前がトミカ、奥がディズニーストアのもの。大きさが1.5倍ほど違う。

 

さすが、3ヶ月先取りの私の息子である。

12月のクリスマスプレゼントさえ準備万端なアキは、もちろん、11月の誕生日プレゼントなど、とうの昔に決めてある。

トランスフォーマーオプティマスプライムを殿は所望だ。

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そして、今日、

2人でプレーンズ2の映画を観終わったあと、トミカのプレーンズが、ひとつ、誕生日プレゼントに追加された。

マジか。

…これ以上の追加は困るので、もう、誰も、アキに新しいキャラクターなど教えないでいただきたい。

私ね、本当にダメな母親なんです

人を育てるなんて、そんな、ものすごいこと、あの時、なんで出来ると思って、アキを産んだんだろう。

よく考えたら、…いや、考えなくても分かってる、私自身、大そうな人間じゃないのにね。
愛されて育ったわけでもないのに、どうして愛し方が分かると思ったんだろう。

 

今日も3歳の息子、アキを、怒ってしまいました。

 

大人になっても出来ないことが沢山あるのに、3歳の子供に何を求めすぎているんだろう。

 

大きな声で叱って、言うこと聞かせようとして、泣かせて、怖がらせて…

結局ね、親の怒りの「はけ口」にしただけじゃない。

普段、気をつけていても、

生理前とか、疲れている時とか、

リミッターが外れかけている時、感情のコントロールが難しくなる。

私、もう、何歳だよ。

アキと何歳差だよ?

 

でも、どんなにアキの言動に腹を立てても、「叩く」という行為だけは、必死で堪えている。

…必死でね。

息を大きく吸い込んで、他の部屋に駆け込んで1人になって…堪える。
だって、正直に言うとね、
自分の子供を、思わず叩いてしまう人の気持ち、ちょっと分かるんだ。

 

…子供にとっては親が全てなのに。
親から見離されたら生きていけないことを知っているのに。
力もかなわない、
命の手綱も取られている、
どう足掻いても、親には敵わないのに。
分かっていながら、コントロールしようとするのは、何て卑怯なんだろう。

 

危ない
待って
やめなさい
それはダメ
沢山の小言に囲まれて、どれだけ不自由な気持ちでいるんだろう。

 

3歳の小さな身体で、
ただでさえ、アキは怖がりなのに、
私の卑怯な怒り方に、どれだけの不安に震えたのかな。

 

夜泣きして、

叫ぶように「ママ抱っこ」って呼ぶアキを、ぎゅっと抱きしめながら、考える。

 

…ごめんね。

ママが昼間怒ったからだよね。
本当にごめんね?
ダメな母親でごめんね。

 

優しくて明るくて、いつもアキを包んであげられる、そんな母親になりたいと、本当に思ってるんだよ。

まだなれなくてごめんね。

ほとんどの母親学級は全く役に立たない

3歳の息子、アキがお腹にいるとき、
私は、絶対に母乳で子供を育てる!と張り切っていました。
今となっては、

…いやいや、早めに教えてよ。
母乳育児、めちゃくちゃしんどすぎるやん。
というのが、本音です。

「赤ちゃんが生まれたら、3時間おきに授乳しますよ〜〜。」

産院で当たり前に言われるけど、それ、ミルクの場合でしょ?
3時間おきでもしんどい授乳が、
おっぱいだと、全く違うよね?
ほぼ1時間とか1時間半とかで、下手したら10分とかで、息子は泣き始めて、おっぱいを求めてきました。
母乳育児に対する、本当の知識がないから、どうしたらいいか分からずに、ただただ焦りまくる。
だって産院で3時間おきに授乳してねって習ったもん。
それより前におっぱいあげたら、赤ちゃんの身体に悪いんだよね⁉︎
…って思うから、3時間経つまで、この息子が何で泣いてるか、ずっと考える。

あれ?
おっぱい飲んだばかりだよね?
オムツも替えたよね?
汗もかいてないな。
抱っこしても反り返って泣く。
なんで?
何がいけないの?

なだめてもなだめても、泣き続ける自分の息子を前に、立ち尽くす日々。
おっぱいをあげると泣き止む息子。
ずっと、飲み続けている。

最愛の息子なのに、
何かおかしいんじゃないか?
私の育児の仕方が間違ってるんじゃないか?
何かの病気なのかな?
でも、答えが分からない。
誰も、私が教えて欲しいことを、教えてくれない。
…負のループ。


産院では、母親学級という、お母さんになる人たちの勉強会みたいなものがある。
私が子供を産んだ産院では、産前に3回の勉強会があった。
母乳育児に力を入れているという産院で、授乳は3時間おきですよ、と教えてもらった。

え?うそやん。

私は看護師でも医師でも何でもないし、産科の知識なんかないけれど、息子との経験から、これだけは言える。

うちの息子は3時間おきじゃダメだったよ。

アキは、母乳が一気に口に入るのを嫌って、少しづつしか飲まないし、
おっぱいを離すと、ずっとギャン泣き。
1時間でも平気でおっぱいを飲み続ける。で、吐く。
吐くから、授乳の時間を開けようとすると、火がついたように泣き始める。
声が大きいから、どこまでも響く。

子供が泣き続けるとね、まるで虐待してるかのように見られるんだよね。
アキを産むまでは、こんなに世間の目が厳しいなんて思わなかったよ。

ほら、泣いてるよ、ミルク飲ませたら?
泣いても抱っこしたらダメだよ、泣きグセがつくよ。
愛情が足りないんじゃない?

…クソが。

いやいや、誰よりも息子のこと愛してますけど、何か?

私はアキにおっぱいをあげながら、寝る間を惜しんで、ネットで調べまくった。

…おっぱい 離さない 赤ちゃん
授乳 何時間…

検索ワードを何度も変えながら、誰か私と同じ境遇の人はいないか、何度も何度も調べたよ。

そしたら、あった。
私が欲しかった答えが。
特に救われたページが、これ。
「最強母乳外来」

もう、過去記事から、みなさんのコメントから、読みまくって読み漁って…
泣いた。

あー、私、おかしくなかった。
アキも、おかしくなかった。
これで、よかったんだ、大丈夫なんだって、安心して、
なんか泣けた。

それからは、アキが欲しがるだけ、おっぱいをあげ続けた。
一日中、裸族みたいな生活だったけど、アキは今とても健康です。
幼稚園に入るまでは、3回くらいしか、風邪を引いたことがなかったし、今でも
体調を崩すのは、年3回くらい。

赤ちゃんを産んで幸せになりたいのに、親戚も保健師も医者も私を苦しめる。
怖いのは、母乳に対する偽物の情報。
ミルク世代の強い刷り込み。
断乳しないといけない雰囲気のこの社会。
あー、なんて、育児には、敵が多いんだろう。

母親学級というものがもっと違うものだったら、本当によかったなと思う。
教えるべきことは、もっとたくさんあるはず。
バランスの良い食事?
そんなの、赤ちゃんができたときから、考えてるし、みんなに言われるよ。
赤ちゃんがどうやって生まれるか?
本、見れば分かるよ。

私が教えて欲しかったのは、
授乳は3時間おきとは限らないってこと。
産後のホルモンで、旦那を毛嫌いしてしまうことがあること。
首が座るのに、6ヶ月かかることもあること。
1日に7回、ウンコを漏らすこともあるってこと。
寝ない赤ちゃんもいること。
泣き声で、母親でもウツになりそうになること。
一歩間違えば、虐待してしまうかもしれない。
ごはんも、トイレも、睡眠も、何もかもできなくなる。
抱っこ紐も、ベビーカーも、チャイルドシートも乗ってくれない赤ちゃんもいる。
育児雑誌には、ステキなママライフしか載ってないけど、育児は決して「楽」じゃない。

我が家の旦那は、家のとこをよく手伝ってくれている。
でも、それでも辛かった。
仕事よりも育児は「楽」だと、思っている勘違い野郎にも、本気の父親学級を開いて、ちゃんとカツを入れてくれ。
私は、35歳まで働いていたけど、夜中まで働いていたけど、それでも、育児は仕事よりも手強いと思った。
だって、コーヒー自由に飲めた。
トイレにも行けた、自分の意思で動けた。
赤ちゃんがいたら、それすらできない。

 

産院の母親学級が、本当の母親学級になることを願ってやまない。

眠れぬ夜のホラー

3歳の息子アキと旦那と3人で、実家に来ております。ただ今、夜中の1時。

(更新は、夜中は避けて朝にしています。)

 

眠れない…

隣で、旦那も子供もグーグー寝てるのに。

ばあばも部屋で寝てしまってるだろうに、

私だけ、眠れない…

類稀なる、この妄想力のせいで眠れない…

 

立て付けの悪い扉が、ガダガタッ

天井が、ピシッ、ピシッ、

電球がミシッって…

 

ホラーでしょぉぉ〜〜(;ω;)

 

妄想力がフル回転して眠れない…

いや、マジで怖いんですけど、実家。

自分の実家なのに、怖いって、

そんなことある?

帰りたいー

 

今、リビングの電気付けた。

明かりがあれば、

文字にする勇気もない「アレ」も朝と勘違いしてくれるだろう。

…あれ?そもそも、明るい時にはアレ出ないんだっけ?

いや、明るいところには出ないはず、出ない、出ない、出ないよ、ね?

 

ひぇっ。

今、頭の上の方で、ギシッって…

もう、イヤぁぁ〜〜〜

 

旦那は一度寝たら絶対起きない。

このやろー

何かあったら、こりゃ、

子供だけ連れて、旦那は置いて逃げるしかない。

 

携帯に集中しよう。

こうなったら、寝落ちを狙おう。

もう、ギシッも、ピシッも、ガダガタッも、気のせいだと思い込もう。

気のせい、気のせい。

気のせ……

 

 

マジでやめてぇぇ。

 

床まで、ドンと鳴り出す中、

それでも、

明日の朝、

電気をつけたまま寝た「言い訳」を考えてしまう、優等生のワタシ。

怖いのに、自分のマジメが憎い〜〜

★過去に遡る①〜父母を語る★

母は美しかった。


庄屋の娘である祖母と、武家の血筋を引く祖父の元に生まれ、一男一女の長女として、何不自由なく育てられた。
恵まれた環境で、甘やかされて育った母は、その美貌と、生まれつきの気性の激しさが相まって、見事に、高いプライドを備えた女性へと成長した。
高卒だった母は、大卒へのコンプレックスの裏返しか、頭のよい人間が大好きだった。特に、学歴のある人たちと積極的に交流し、彼らと同じ土俵で会話できる自分を誇りに思い、そうでない人間を見下していた。プライドの高さゆえか、常に現状に満足できず、日々、何に対しても誰に対しても、不満を募らせていた。
私は、そんな、母の負の感情を受け止める器として生まれた。

デキ婚と言う言葉が流行るずっと以前に、母は、5歳年下の父と出会い、私を身籠った。
当時、父はまだ大学4年生で、将来教職に就くべく勉学中の身だった。母が勤めていたデパートにアルバイトとして入社し、母の下に配属されたのがきっかけだった。父の強いアプローチで付き合い始めたが、当然、結婚の意思はなかった。

母は当時28歳。30歳手前の、女性特有の結婚願望は、もちろん持っていた。

が、相手は所詮学生。半ば諦めかけていたが、思いがけず、私を身籠ることで、母は、父を手に入れることに成功した。
無職の学生と、デパート勤めのOLは、OLの貯金を食い潰す未来で意見を合致させ、両家の反対を押し切って結婚した。

父は背が低く、お世辞にもハンサムと呼べる顔立ちではなかった。
しかしながら、そのハンデを補って余るほどに、頭の回転が早く、サービス精神旺盛で、会話は機知に富み、女性によくモテる人だった。
この頃からすでに父の周りには、不特定多数の女性の存在があった。そのことは母もよく知っていたはずだが、あえて見えないフリをしていたように思う。

 

学生だった父と、身重の母は、古いアパートで新しい生活を始めた。父は、授業の合間にアルバイトをしていたが、一家の大黒柱としての自覚はなかった。アルバイトだけでは、生計は成り立たず、生活費のほとんどを身重の母の貯金で賄った。
買いたいものも満足に買えない、生活苦の中で、私の出産予定日を一週間後に控えながら、お気楽な父は、大学の仲間と卒業旅行に出かけた。自分のアルバイト料と実母からのお小遣いの全てを、卒業旅行の資金に充てたという。

 

 

それでも、母は何も言わなかった。

母は父に固執していた。



大学を卒業して、1年間、就職浪人し、父がやっと教職に就いたころ、母の貯金は底をついた。裕福な出の母は、親からの支度金と、デパートの退職金とを、無職の、ヒモ同然の父と生まれたての私のために、使い果たしてしまった。

 

 

父は、頭が良くユーモアに溢れる人だったが、同時に、暴力的な人でもあった。

父が仕事に慣れ、教師としての自覚が強なるにつれ、父の家での暴力性は増していった。

私が2歳の頃、妹が生まれ、その翌年には弟が生まれた。私たちは、父の顔色を伺いながら過ごすのが常だった。幼稚園に上がる頃には、機嫌を損なうと、暴言はもちろん、暴力を振るわれることもあった。

小学校に上がると、特に、勉強の苦手だった弟や妹への風当たりは強く、私は止めに入るのも必死だった。止めに入ると、次は私が殴られる。恐ろしさを堪えて、無我夢中で抵抗した。

父は教師として、私たち3人に躾をしているのだ。

 

そういえば、小学生の頃、
家族で外出先から帰ってきたとき、父にお風呂を洗えと言われたことがある。
私は疲れていて、つい嫌そうな顔をしてしまった。途端、父は、ふざけるなと激怒して、お風呂のタイルに私を叩きつけた。父はとても短気な人だった。

 

母は、私たちがどんなに叩かれたり蹴られたりしていても、決して助けてはくれなかった。
父に逆らって嫌われるのが怖かったのだ。

 

せめてもの救いは、父が、母には手を出さなかったことだ。だが、母に対しては身体への暴力の代わりに、言葉の暴力を行なっていた。

俗にいう、モラハラの先駆けだった。
母が自分の失敗を認めず、言い訳がましいことを言うとき、父はより一層キレて言葉の暴力を振るった。
母の出かける準備が遅いときも、子供が愚図ったときも、勘違いも何もかも、少しでも気に障ることがあれば、父は母を罵った。父から母へ向けられる言葉のほとんどが、嘲りや罵倒の類いのものだった。
ところが、母はどんなに貶されても、父に逆らうことをしなかった。
それどころか、毎日、帰宅するかどうかも分からない父のために、晩ご飯を食べずに、いつまでも待ち続けた。真夜中に電話が鳴り、酔っ払った父から、他人の家に泊まって帰ると言われても、文句ひとつ言わなかった。


その言えない文句の全てが、私に吐き出されていたことを、父は、知らない。


父が家にいるとき、母はよく、「いつか離婚するつもりよ」と、笑って、冗談めかしながら父に語っていた。これは今思えば、離婚を仄めかせることで父を焦らせ、家庭を顧みてもらおうと願う、母なりの苦肉の策であったのだろう。

その作戦は、後に、赤面するほどの大失策に終わる。所詮は、母の言う学歴の差か、父の手のひらの上で弄ばれていただけだった。